トマス・ジェファソンは尚書を読んだのか

2012年1月に本ブログを開設して以来、初の日本語記事になります。自己紹介ページでは、英語の研究書を日本語で紹介するというような無謀な事を宣言してきましたが、グズグズしているうちに二年半も経過してしまいました。きちんと研究書を読む時間がなかなか取れないばかりか、2013~14年のあいだは日本に住むようになり、そもそも新刊の英語書が手に入らない状況になったため、まずは少々ハードルを下げ、面白かった論文の紹介などを行っていきたいと思います。気が向いた時にしか更新しませんが、迷いこんで来られた方々、どうぞよろしくお願いいたいします。

さて、今回はカリフォルニア大学サンディエゴ校のSarah Schneewind先生による、少し変わった(?)論文を紹介します。

  • Sarah Schneewind, “Thomas Jefferson’s Declaration of Independence and King Wu’s First Great Pronouncement,” Journal of American-East Asian Relations 19 (2012): 1-17.(著者のプロフィールページよりPDFダウンロード可。)

Schneewind先生はもともと中国明代の社会・文化史を専門とされていますが、本論文の内容は時空ともにスケールが大きく、周武王の商朝討伐時の言葉を記録した(とされている)尚書・泰誓(上)のテキストが、トマス・ジェファソンの執筆したアメリカ独立宣言の草稿(1776年)に影響を与えたのではないか、という問題を扱っています。

一見、冗談ではないかと思われる主張ですが、論文ではこの仮説を真剣に検討し、その可能性を示す事実として、主に以下の三点を挙げています。

  • 1770年に尚書のフランス語全訳本が出版されていた。
  • ジェファソンは、後に詩経の一篇をノートに写していたことなどからも分かるように、中国関係の本を多く読んでいた。また独立宣言が、当時流通していた他の著作から、発想や言葉を大量に取り入れたことは、よく知られている。
  • 独立宣言と泰誓は、文章の構造や、既存権力への反抗を正当化するレトリックなどにおいて、類似点が多い。(なお、論文で引かれている尚書のテキストは、当時ジェファソンが読んだかもしれない文章に近づけるため、1770年出版のフランス語訳に基づき、著者が英訳したものです。)

以上、とても大雑把にまとめているため、実際の論考に興味をお持ちの方は、ぜひ論文を直接ご覧になってください。この三点を踏まえた上でSchneewind先生は、ジェファソンが尚書を読んだかどうか、直接的に証明できる史料はないものの、彼がそこに記録された武王の言葉を読み、それが独立宣言の構造・レトリックに影響を与えた可能性は十分有り得るとし、その可能性の有無に関する最終的な判断は個々の読者に委ねる、という結論に至ります。

アメリカ建国の重要な文書が、実は中国の古典に影響されていたかも知れないという、とても大胆な主張ですが、個人的な読後感としては、ジェファソンが1776年の時点で尚書を読んだか読まなかったかと言えば、やはり、読まなかった可能性の方が高いのではないかと思います。しかし一方で、特定の時代・地域において、何があり得たことで、何があり得なかったかを丁寧に考証した上で、もしかするとあったかも知れない可能性を提示する手法は、大変魅力的だと私は感じます。歴史学というものは、史料に忠実であろうとするほど、史料の残っていない事柄については何も語れなくなるという、残念な側面があるように思います。その中で、現存の史料と矛盾しない範囲内で想像力を働かせ、一つの可能性の世界を造り上げるという方法は、私自身実践してみたいところがあります。